見ちゃだめ
袋とじ的なものを考えた人。
ちがいます。
ヨガスタジオのブログですって(笑)
「鶴の恩返し」しかり、「パンドラの箱」しかり、「浦島太郎」しかり。見ちゃいけない、開けちゃいけない、と言われると、つい見る、開ける。そして、禍に見舞われるのだった。
経験則として、そうなることがわかっているのに、何故、見てしまうんだろ。
わからないものがあると、悪い結果以上に、わからないことが不安だから。
「見ちゃだめ」
ヨガのレッスンでも、ときどき言われます。
ヨガのポーズは、あちこちに気を配らないといけない。でも、いちいち見てたら集中してないということ。膝を直角に曲げているかは、膝でわからないといけない。腕だって、見ないでも、しっかり伸ばせないと。
そう言われても、自分の体なのに、どう動いているのかわからない。だから、見てしまうのです。もし、見ないでもわかれば、目を使わないで体を自由に動かせたら、もう少し気持ちを穏やかにすることや、丁寧な呼吸に意識を向けられるのに。
こんな風に、ヨガはもっともっと先に続くのです。
だけど、「見たい」という誘惑に負けるから、その先があるような気もします。
「見ないでね」
「はい、見ません」
じゃ、何も起きないじゃないですか?
というより、「見ちゃだめ」といわれたら、ほぼ確実に見るでしょ。
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